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第34話 王宮の庭園

Author: 甘梨鈴
last update Last Updated: 2025-07-06 17:00:34

 皇太子と別れたルシアンを案内することになり、エマは密かに浮かれていた。

 皇太子に付き従っていた側近たちはみな厩舎へ向かったので、この場に残ったのはルシアンとエマだけだ。王国側の人間は、王太子付きの若い秘書官と護衛騎士が一人ずつ、帝国側の人間は、ルシアンの従者と書記官が一人ずついるだけで、かなりの少人数である。

(皇太子殿下があちらに行かれてよかった)

 本当はこんなこと思ってはいけないけど、ルシアンと一緒にいられるのが嬉しくて、つい頬が緩む。

 さっそく王立美術館へ向かおうとしたが、後方に控えていたナタリナがエマの側へ寄った。

「失礼致します。エマヌエーレ様」

「ナタリナ?」

 ナタリナは顔を近づけ、小声でそっと囁く。

「エマ様。お疲れのご様子とお見受けいたします。少しお休みになってくださいませ」

「大丈夫だよ、ナタリナ」

「ですが、皇太子殿下もいらっしゃいませんし、デイモンド伯爵なら休憩を申し出ても受け入れてくださるのでは」

「ナタリナ……」

 エマを心配するナタリナの気持ちはありがたい。

 だけど、エマはルシアンの望みを叶えたくて、首を振って微笑んだ。

「これくらいは大丈夫だから。ありがとう」

「エマ様っ」

「下がって、ナタリナ」

 エマの言葉に、ナタリナはしぶしぶと頷き、後ろへ下がった。

 後でお小言をもらうだろうなと思いながら、ルシアンを見上げる。

「デイモンド伯爵、お待たせしました。今からご案内致します」

「いえ、待ってください」

「?」

 ルシアンは口元に拳をあて、思案するようにエマを見下ろす。

 そしてすぐに、優しい笑みを浮かべた。

「王立美術館は、とても広いのでしょう」

「はい」

「できれば、一日かけて見て回りたいのです。案内は後日にして、今日は庭園でお茶を振る舞ってくれませんか?」

「えっ? お茶ですか?」

「ええ。王族の方々や聖樹の皆様は、王宮の庭園でアフタヌーンティーを楽しまれ
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